【アイヒマン】北村滋(内閣情報官)の経歴 山口敬之との関係!官房副長官も

政治家

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

安倍総理大臣の側近中の側近といわれる北村滋内閣情報官が何かと話題です。2018年7月にベトナムにて北朝鮮との接触を極秘裏に行っていたとして話題になった際にも北村滋内閣情報官の名前が上がりました。

朝鮮日報によれば以下のように書かれています。

警察出身の北村氏は、安倍晋三首相の最側近に数えられる。昨年には日本の新聞に掲載される「首相動静」への登場回数が1位を記録した。今月に入り、28日までに公式日程だけで8回も安倍首相と会った。東京の外交筋は「非公式にはさらに頻繁に会っている可能性がある」と指摘した。

北村氏は「日本のCIA」と呼ばれる内閣調査室のトップを兼任している。400人余りの精鋭で内外のデリケートな情報を収集、分析する内閣調査室を6年8カ月にわたり率いている。

表舞台に立つことがあまりない北村滋氏ですが、日本国内はもちろんのこと、国益にかかわる重要な情報についても、そのほとんどを把握しているといわれています。

そこで、ここでは2018年8月現在の安倍内閣で重要なポジションに位置している北村滋氏について取り上げます。

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北村滋(内閣情報官)の経歴

北村滋氏の経歴を簡単におさらいしておきましょう。

経歴(生い立ち~現在)

東京都出身。開成中学校・高等学校、東京大学法学部を経て、1980年4月、警察庁に入庁。
警察庁入庁の同期に、第26代警察庁長官の坂口正芳、第92代警視総監(警察庁退官後に内閣危機管理監)の高橋清孝がいる。

1983年6月、フランス国立行政学院(ENA)に留学。
1985年6月、埼玉県警察本部捜査二課長。
1989年9月、警視庁本富士警察署長。
1990年4月、山梨県警察本部警務部長。
1992年2月、在フランス大使館一等書記官。
1995年3月、警備局外事課理事官。
1996年4月、警備局警備企画課理事官。
1997年7月、官房総務課企画官、中央省庁等改革、警察改革を担当。
2000年8月、交通局交通規制課長
2002年8月、徳島県警察本部長
2004年4月、警備局警備課長
2004年8月、警備局外事情報部外事課長
2006年9月、内閣総理大臣秘書官(第1次安倍内閣)
2007年、刑事局刑事企画課長
2009年4月、兵庫県警察本部長
2010年4月、警備局外事情報部長
2011年10月、官房総括審議官
2011年12月に、民主党政権の野田内閣で内閣情報官に起用された
2012年12月の政権交代により、自民党政権の第2次安倍内閣が成立したが、北村は内閣情報官に引き続き起用された。
第3次安倍内閣、第4次安倍内閣でも留任。

この通り、華々しい経歴を歩んでいる北村滋氏。開成中高からの東大法学部コースはまさに官僚のなかでもエリート中のエリートコースです。

山口敬之が週刊新潮の記事を北村氏に相談していた

北村滋氏の名前が一般的に知れ渡ったのは、山口敬之氏の件でしょう。

山口敬之氏といえば女性に対して暴行を働いたとして訴えを起こされたジャーナリストです。

女性の勇気ある行動によって、山口敬之氏の犯行が白日の下にさらされました。しかし、この勇気ある告白にも関わらず、山口敬之氏への捜査の手はなかなか及ばず、結局うやむやになっていきました。

最終的には不起訴となり、被害女性は検察審査会に再捜査の請求を申し立てる結果に。

この過程で、何らかの大きな力が動いていたことは明白だと被害女性側の弁護団は勘付いていました。

その大きな力こそが北村滋氏だったといわれているのです。

実際に北村滋氏へ山口氏が相談を持ち掛けているメールも流出しています。

当時の週刊誌ではこのような紙面が大々的に掲載され、国家権力の恐ろしさを知ることになりました。

官邸のアイヒマンとも呼ばれる彼は、日本国家を裏で動かしている重要人物のひとりとも言われています。

総理大臣や大臣クラスの人物たちが北村滋氏に頻繁に会っていることからも、彼がどれほどの重要人物なのかということが見て取れるでしょう。