【死因は病気?】眉村卓が死去 余命1年の妻と娘の活動

訃報

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

生前、作家として活動していた眉村卓さんが死去したと報じられました。

眉村さんは、短編小説などで有名で、新聞のエッセーなども担当していたことで知られています。

今回は突然の訃報が報じられた眉村卓さんについて詳しく取り上げます。


死因は病気?眉村卓が死去

今回の件について、産経新聞などは以下のように報じています。


出典:yomiDr

小説「ねらわれた学園」や短編集「妻に捧げた1778話」などで知られる作家で、本紙朝刊1面の読者投稿「朝晴れエッセー」の選考委員を務める眉村卓(まゆむら・たく、本名・村上卓児=むらかみ・たくじ)さんが3日午前4時1分、誤嚥性肺炎のため大阪市内の病院で死去した。85歳だった。

昭和9年、大阪市出身。大阪大学経済学部を卒業後、会社員を務める傍らSF同人誌「宇宙塵(じん)」に参加、36年に「下級アイデアマン」が「SFマガジン」の「空想科学小説コンテスト(現ハヤカワSFコンテスト)」に佳作入選し、デビュー。40年から専業作家となり、54年に「消滅の光輪」で泉鏡花文学賞と星雲賞を受賞した。

出典:産経新聞

報道によると、眉村さんは大阪市内の病院で85歳という年齢で亡くなったとのことです。

死因は誤嚥性肺炎であることが公表されていることから、家族にとっても突然のお別れになったことと思われます。

眉村さんは過去に食道がんを患っていて、晩年は闘病生活を送りながらの執筆活動でした。

余命1年の妻と娘の活動

眉村さんといえば、自身の奥さんのことを綴った実話である『妻に捧げた1778話』が有名。

この小説は、がんを患い、余命わずか1年と宣告された妻との実話エピソードが描かれています。

新潮社の要約文では以下のように紹介されていました。

余命は一年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、とても不可能と思われる約束をした。しかし、夫はその言葉通り、毎日一篇のお話を書き続けた。五年間頑張った妻が亡くなった日の最後の原稿、最後の行に夫は書いた──「また一緒に暮らしましょう」。妻のために書かれた1778篇から19篇を選び、妻の闘病生活と夫婦の長かった結婚生活を振り返るエッセイを合わせたちょっと変わった愛妻物語。

出典:新潮社

ちなみに、眉村さんの娘さんである村上知子さんも執筆活動を行っていることで知られています。

娘さんは立教大学文学部フランス文学科に進学後、映画製作に携わる仕事をされていますが、上で紹介した『僕と妻の1778の物語』の解説も担当しています。

ネットの反応

今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?

ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。

中学生の頃、眉村さんの本をほとんど読んでいました。「本を読む」習慣がついたのは、眉村さんのおかげです。ありがとうございました。

小説家は一般にデビューから時間が過ぎると作品を発表しなくなりますが
眉村さんは老齢になってからも小説を書き続けた大変偉大な人です

ショートショートシリーズは読んだ記憶があります。
なぞの転校生は、NHKでドラマ化されていたと思います。

個人的には、SF作家の星新一氏と並び、巨匠でした。
ご冥福をお祈りいたします。

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