【死因:病気(心臓疾患)】松本暁司監督が死去 埼玉県浦和出身

訃報

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

元サッカー日本代表でゴールキーパーを務めた松本暁司氏が死去しました。

松本氏は高校サッカーの監督として3冠を達成するなど、指導者としても輝かしい功績を残しました。

今回は突然の訃報が報じられた松本暁司監督について取り上げます。


死因:病気(心臓疾患) 松本暁司監督が死去

今回の訃報について、時事通信などでは以下のように報じています。

松本 暁司氏(まつもと・ぎょうじ=サッカー元日本代表)2日午前0時38分、心臓疾患のためさいたま市の病院で死去、85歳。埼玉県出身。葬儀は8日午前10時半から、同市浦和区駒場2の3の4の蓮昌寺会館で。喪主は長女宍戸初穂(ししど・はつほ)さん。

日本代表GKとして国際Aマッチ1試合出場。指導者としては1969年に埼玉・浦和市立南高(現浦和南高)を史上初の高校3冠(選手権、総体、国体)に導いた。教え子に日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏らがいる。 

出典:時事通信

報道にある通り、松本氏がさいたま市内の病院で息を引き取りました。

直接的な死因は心臓疾患とされていますが、具体的な病名などは今のところ公表されていません。

突然の訃報に、彼を知るサッカーファンやサッカー関係者からは悲しみの声が多くあがっています。

埼玉県浦和出身で日本代表や指導者を歴任

松本氏は、現在ではサッカーの名門校としても知られる浦和南高校の初代監督を務められました。

彼が監督として就任して以降、高校サッカー史上初の全国3冠に輝くなど、指導者として素晴らしい功績を残しています。

現在、浦和南高校でサッカー部の監督を務めておられる野崎監督は、松本氏から直接市道を受けた経験があるとのこと。

そんな野崎監督は地元の埼玉新聞の取材に対して以下のようにコメントしています。

「突然過ぎて、いろいろなことを思い出してしまう。昨日(2日)は眠れなかった」と、恩師の急逝に驚きを隠せない。同監督は生徒として3年間、教員となってから赴任した浦和南高の7年間を合わせて10年間を松本氏とともに過ごした。「サッカーに関してはとても厳しい人で、『鬼松』と呼ばれていた。褒められたことなんてなかった」

その他、現在、日本サッカー協会の会長を務めている田嶋会長も、『松本氏からはサッカーに対する多くの情熱を学んだ』とし、悲しみのコメントを発表しています。

ネットの反応

今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?

ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。

高校時代のサッカー部の顧問が松本先生の下三連覇した時のレギュラーの方だったのでよく昔話の時に松本先生の話をされてました。
自分はお会いしたことも無いけどご冥福をお祈りします。

ビックリしました!
現JFA会長の田嶋を要し、
全国制覇した時を今でも覚えています。
合掌。

私もその昔、高校選抜チームで先生のご指導を受けました。情熱と優しさのある指導者でした。ご冥福をお祈りいたします。