松永健司が死去で死因=病気(肺炎) 女子プロレス生みの親

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こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

女子プロレスの生みの親として知られる松永健司さんが死去したことが報じられました。

松永さんは松永ファミリーの1人としても有名で、他の兄弟はすでに他界されており、健司さんが最後の生き残りでした。

今回は突然の訃報が報じられた松永健司さんについて詳しく取り上げていきます。


松永健司が死去で死因=病気(肺炎)

この件について、デイリースポーツなどは以下のように報じています。

1968年6月に全日本女子プロレス興業を旗揚げし、ビューティ・ペア、クラッシュ・ギャルズをリングに送り出した松永ファミリーの松永健司さんが6日、肺炎のため死去したことが8日、明らかになった。84歳だった。

松永4兄弟は5男・俊国さん(02年9月、心不全、享年57)、4男・国松さん(05年8月、同63)、3男・高司さん(09年7月、肺炎、同73)が既に他界。女子レスラーとして活躍した2女・洋子さん=山口洋子=(89年10月、ぼうこうがん、同50)、長女・田口礼子さん=吉葉礼子=(08年9月、肺がん、同70)も亡くなっている。

報道にある通り、松永ファミリーの1人で女子プロの創設者でもあった松永健司さんが死去しました。

死因については肺炎と報じられていますが、晩年の体調などについては公表されておらず、どのような最期を迎えたのかは分かっていません。

今回亡くなったのは松永4兄弟の次男。

2009年に亡くなった三男の松永高司さんは女子プロの父としても有名で、日本女子プロレスの会長を務めていました。

ちなみに、松永高司さんの死因も健司さんと同じく間質性肺炎でした。

数々のエピソードで知られる女子プロレス生みの親

松永4兄弟最後の生き残りであった松永健司さんは、良くも悪くも話題の付きない人物でした。

全日本女子は2005年に解散していますが、1968年の旗揚げ以降、長年副会長として興業を支えてきました。

ただ、一方で金遣いの荒さには定評があり、高級車を何台も乗り換えるなどのエピソードが、当時全日本女子に所属した選手たちから語られています。

また船などを購入していたという話もあり、経営を厳しくしていた張本人は松永健司さんだったとの噂もあります。

ネットの反応

今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?

ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。

長与千種さんが言ってた、大きな大会のあとは会長達の車が新しくなってる、みたいな言葉思いだした。もっと金にしっかりしていたらどうだったかなぁ。

こないだまで連載していたダンプ松本さんの自伝を読んでたけど、直に言ってはいないが会社は彼女たちレスラーの頑張りで支え経営者の松永氏らのことは礼儀で持ち上げてる印象だったな。

経営者としては失格だったが、数々の名選手を世に送り出した功績は大きい。合掌…