こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。
小説家:山際淳司のノンフィクション作品である「スローカーブを、もう一球」のモデルとして有名な川端俊介さんが死去しました。
56歳という若さでの突然の訃報に、世論からは悲しみの声が多く上がっています。
今回は、小説のモデル、そして小学校教諭として活躍された川端俊介さんについて取り上げます。
死因は病気?川端俊介が死去
今回の訃報について、朝日新聞などでは以下のように報じています。
川端俊介さん(かわばた・しゅんすけ=小学校教諭、短編ノンフィクション「スローカーブを、もう一球」のモデル)が22日、病気で死去、56歳。葬儀は26日午後1時から高崎市高関町460の1の高崎メモリードホールで営まれた。喪主は妻紀子(のりこ)さん。81年春の選抜大会に初出場した高崎高のエースで、前年秋の関東大会で準優勝した過程は故山際淳司さんの短編「スローカーブを、もう一球」に描かれた。
報道によると、川端さんは2019年10月22日に息を引き取ったとのことです。
詳しい死因などについてはいずれのメディアでも公表されていませんが、病気によって亡くなったと報じられています。
川端さんは晩年闘病生活を送っていたなどの情報は公表されておらず、どのような病気を患っていたのかは今のところ不明です。
今後、詳しい死因や晩年の病状などが公表され次第、随時追記させていただきます。
現在(晩年)の活動
「スローカーブを、もう一球」モデルの川端俊介さん死去 https://t.co/Wrd2JJEqNP
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) October 26, 2019
川端俊介さんは、1963年生まれの小学校教諭。
「スローカーブを、もう一球」のモデルとして世間に幅広く認知され、一躍有名になりました。
自身は群馬県立高崎高校の野球部出身で、エース投手として活躍しました。
高校卒業後は東京学芸大学に進学し、教員免許を取得。
晩年は群馬県の小学校で教員を務めていました。
ノンフィクション小説をきっかけに川端さんを知り、その後の活動なども応援していたファンは多く、SNSなどでも追悼の言葉が多く呟かれています。
【追記】2020年1月の天声人語で取り上げられる
天声人語で、川端俊介氏の訃報。
普段冷めた態度ばかり取る人が、『スローカーブを、もう一球』を読んで珍しく高揚し「この人大好き!」と言い放ったことを思い出した。もう顔も名前も思い出せないけど。
合掌。— kirierra (@kirierra) January 7, 2020
2019年10月に亡くなった川端俊介さんですが、この度、朝日新聞の天声人語で取り上げられました。
取り上げられたのは、2020年1月8日の朝日新聞の朝刊。
そうか、あの人は小学校の先生をしていたのか。東京本社版夕刊の「惜別」で川端俊介さんの名前を目にし、56歳で旅立ってしまったことを知った。山際淳司のノンフィクション『スローカーブを、もう一球』で描かれた高校野球の投手だと言えば、ぴんと来る人もいるだろうか
という書き出しで取り上げられ、10月に亡くなった川端さんの訃報に触れました。
なかにはこの天声人語で川端さんの訃報を知ったという人も少なくないようです。
ネットの反応
今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?
ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。
月山栄珠選手と対戦したときの描写が印象にあります。川端さんもセンバツで甲子園を経験されたんですよね。
その後は小学校の先生をなさっていたとか。
若くして亡くなられるの残念です。ご冥福をお祈りします。
この若さでご病気で亡くなるとは。「スローカーブを、もう一球」の、のどかな雰囲気が好きでした。
相当お若いですね。
自身の経験をもとに子供の育成にもっともっとあたって欲しかったですが、残念です。
昭和が遠くなりますね。
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