こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。
衆議院議員を9期務め、官房長官などを歴任した村岡兼造(むらおかかねぞう)氏が死去しました。
政治家として引退した後は、日歯連闇献金事件で在宅起訴されるなど、晩年も何かと話題に欠かなかった村岡氏。
今回はそんな彼の突然の訃報について、詳しく取り上げます。
村岡兼造が死去→死因は病気(胃癌)
村岡兼造元官房長官が死去、88歳https://t.co/VYkqekwqSh
平成9年の第2次橋本龍太郎改造内閣で官房長官に就任し、その後、党総務会長も務めた。15年の衆院選で落選した後の16年に日本歯科医師連盟の「ヤミ献金」事件で政治資金規正法違反罪に問われ、無罪を訴えたが、20年に有罪が確定した。
— 産経ニュース (@Sankei_news) December 25, 2019
今回の件について、読売新聞などは以下のように報じています。
官房長官や自民党総務会長を務めた元衆院議員の村岡兼造(むらおか・かねぞう)氏が25日、胃がんのため東京都内の自宅で死去した。88歳だった。
秋田県出身。秋田県議などを経て、1972年の衆院選で初当選し、通算9回の当選を重ねた。2003年の衆院選で落選し、政界から引退した。
出典:読売新聞
共同通信などでは死去した詳細な日時も記載されており、それによると12月25日午後4時57分に自宅で息を引き取ったとのことです。
日歯連闇献金事件での有罪確定以降、メディアに彼の名前が報じられることもなく、近況についてはほとんど情報がありませんでした。
闘病生活に関する情報も公表はされていませんが、胃癌で亡くなったということで、ある程度進行した状態で見つかったものと思われます。
というのも、最近では胃癌が直接的な死因となって命を落とす人は少なくなっている一方、進行した状態で発見された胃癌の致死率は依然として高い状態にあるためです。
近年胃癌で亡くなる方の数は減少してきていますが、胃癌にかかる人の数が減少してきているわけではありません。これは胃癌自体はそれほど減っていないけれど、診断技術の進歩で早期胃癌の状態で見つかる人が増えたことと、標準手術の確立により、胃癌で死なない人が増えてきたことによると思われます。
しかし、現在でも進行した胃癌ではなかなか直すのが難しいということには変わりありません。
出典:kokura-hp.jp
現在息子たちは何をしている?
橋本内閣で官房長官を務めた村岡兼造(むらおか・かねぞう)元自民党衆院議員が25日、がんのため東京都内の自宅で亡くなりました。88歳でした。https://t.co/tzVR9eHwXj
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) December 25, 2019
村岡氏の長男である兼幸(かねゆき)氏は1914年に村岡一族によって経営されている村岡建設工業の社長を務めています。
2001年に秋田県知事選挙に立候補をするも落選。
このとき当選を果たした寺田典城氏には倍以上の差をつけられ、得票率2位での落選となりました。
一方、次男は政治家の道を歩み、村岡兼造氏の跡を継ぎました。
次男=村岡敏英氏は、2012年の衆議院議員選挙で初当選。
衆議院議員2期を務めるも、2017年の衆議院議員選挙では希望の党の公認候補として立候補した結果、落選。
2019年12月現在の活動は不明ですが、政界復帰を目指していることはほぼ間違いないでしょう。
自宅の前に毒まんじゅう事件
村岡兼造氏といえば、2003年に話題となった毒まんじゅう事件が有名。
毒まんじゅうというのは、歴史上の事件である加藤清正の暗殺説などになぞらえ、賄賂や悪に加担する行為を揶揄するために用いられている言葉です。
村岡兼造氏は自民党総裁選で小泉純一郎氏を支持したことに対して、野中広務氏から『毒まんじゅうを食らったのではないか』と揶揄されたことで大きな話題となりました。
このときの流行語大賞にも毒まんじゅうがノミネートされ、見事大賞を受賞。
一連の毒まんじゅう事件を揶揄する形で、テレビ朝日の記者が村岡氏の自宅前にまんじゅうを置いたことも大きな話題となりました。
ネットの反応
今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?
ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。
村岡兼造って一審は無罪だったんだよなぁ。川口裁判官に「今晩くらいは桜を楽しまれたらどうでしょう」と説諭されて。判決の後、マスコミに囲まれる事もなく東京地裁前を1人で歩いてたのが印象的。会見後だったけど、想定と違う時は取材されないのかと思ったな。
息子は渡り鳥した末落選し、政界復帰の見通しが立たない中でか…。
お悔やみ申し上げます。
毒まんじゅう発言の人が亡くなったか。
ご冥福を祈ります。
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