【死因:病気(敗血症性ショック)】近藤昭仁監督(大洋,現DeNA)が死去 無能の声も

訃報

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

横浜や巨人などで監督を務めた元プロ野球選手の近藤昭仁監督が死去しました。スポニチアネックスなどによると以下のように報じています。

プロ野球、大洋(現DeNA)の内野手として活躍し、ロッテ、横浜、巨人などで監督やコーチを務めた野球解説者の近藤昭仁氏が27日午前1時23分、敗血症性ショックのため川崎市内の病院で亡くなったことが分かった。80歳だった。高松市出身。

通夜は31日午後6時、葬儀・告別式は4月1日正午からいずれも横浜市鶴見区鶴見2-1-1の総持寺・三松閣。喪主は妻の由紀子さん。

弱小チームの暗黒時代を引き受けた監督という印象を持っている人も多く、当時のファンからは悲しみの声が多く聞かれます。


死因:病気(敗血症性ショック) 近藤昭仁監督(大洋,現DeNA)が死去

報道にある通り、近藤昭仁氏が死去しました。死因敗血症性ショックとのことです。

2019年2月に誤嚥性肺炎を引き起こして入院したことが報じられていたばかりで、入院先の病院で亡くなられたようです。

晩年はパーキンソン病を患っていたとのことで、病院通いの闘病生活を送られていたようです。

近藤昭仁氏の引退後の経歴は以下の通り。

  • 大洋ホエールズ一軍守備,二軍守備走塁コーチ(74年~78年)
  • ヤクルトスワローズ一軍守備走塁コーチ(79年~81年)
  • 西武ライオンズ一軍守備走塁コーチ(82年~86年)
  • 巨人ヘッドコーチ(89年~91年)
  • 横浜ベイスターズ監督(93年~95年)
  • 千葉ロッテマリーンズ監督(97年~98年)

ネットの反応

今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?

ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。

横浜ベイスターズ初代監督。
当時、巨人の屋敷が雨中のセンターフライを落球し横浜のサヨナラ勝ちだったかな地上波で観てた。
終了後、ベンチ前で興奮しながらテレビ局のインタビューに答えてた近藤監督の映像が未だに脳裏に焼き付いてます。
結果はイマイチだったけど、チーム名、ユニフォームも変わり、良い若手、良い外国人も入団しだして、ワクワク感のあるチームだった。
で、その後、複数人の監督を迎え98年までは右肩上がりで良いチームに成長していった印象。
御冥福を祈ります。

近藤さんはベイスターズの初代監督でした。
当時熱心な大洋ファンだった自分は、93年オフに高木、屋鋪選手ら生え抜きを大量解雇されたことがとてもショックで残念でした。
しかしその年入れ替わり入った駒田選手や新人らが98年Vの中心選手になった訳で、結果としては良かったのでしょうか。
今までお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。

98年のベイスターズの優勝は権藤さん、大矢さんの前の監督だった近藤さんの時代に出てきて育てた選手が主力だったから、優勝の影の立役者とも言われてますね。ご冥福をお祈りいたします。

監督時代は無能の声もありバッシングがひどかった

弱小チームを請け負った経験が多いことから、時には激しいバッシングにあうこともありました。

以下、某ブログからの引用になります。

世間では彼の事を‘緻密な野球をやる理論派’という評価をしていたのだが・・・・・

85年は日本シリーズでタイガースに2勝4敗で敗れ、その年限りで退団した広岡達郎と共に解任。

89年こそバファローズ相手に3連敗から4連勝して日本一になったが90年はライオンズから屈辱の4連敗を喫して求心力をなくし、91年に4位転落の責任を問われ解任された。

93年に横浜の監督になったものの3年連続Bクラスで契約更新されず、97年からマリーンズ監督に就任し3年契約を結ぶも97年はBクラスで98年は何とプロ野球記録の18連敗を喫して最下位に終わり任期1年を残して解任された。

この時の記者会見で‘次に監督をするときは、もっと強いチームの監督をやりたい’と放言し世間のヒンシュクをかった。

少なくともこのような感じ方をしていたファンも一部にはおり、監督時代は世論の声にも悩まされていたようです。

また、現在でもプロ野球界に残っている18連敗という記録をロッテの監督時代に作ってしまったことも、世間からのバッシングの原因と考えられます。

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