ティンギュー村(ネパールヒマラヤ・ドルポ)の部族や場所はどこ?wikiや河口慧海

コラム

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

アジアの国、約5ヶ国に渡ってまたがるヒマラヤ山脈。

その最奥地に、ドルポという地区があります。(ドルパとも発音する)

ヒマラヤ山脈自体、世界中でもっとも天空に近い場所と言われていますが、その最奥地であるドルポには世界一高い場所で暮らす人々がいます。

通称、『天空の部族』とも呼ばれるこの山の民は、ティンギュー村というところで自給自足の非常に過酷な生活を行っています。

テレビ朝日では開局60周年記念としてこのドルポに住む幻の部族に密着したとのこと。

ここではティンギュー村に住む幻の部族と、この地域について詳しく取り上げていきます。


ネパールヒマラヤの最奥地ドルポにあるティンギュー村の場所はどこ?

ドルポ地方というのは、ヒマラヤ山脈のネパールと中国の国境に近いところに位置しています。

標高4000メートルという場所なので、当然極寒。

冬場には-40度という気温になるといいます。

“ヒマラヤ最奥の聖地”であるネパール・ドルポは、日本から約5000キロ、行きつくまでに最悪1カ月間もかかるという。
何より、富士山を超える高度4000メートルに位置し、冬季は-40度まで下がることもある地球上でも屈指の極寒の地なのだ。

このドルポ地方のなかでも、最奥地と言われているのがティンギュー村

ドルポ地方に行くのだけでも大変ですが、ドルポ地方の中心地『ドゥネイ村』からでも約2週間もかかるといいます。

ティンギュー村の幻の部族は超過酷な場所で生活

ティンギュー村は、標高約4750メートルのところに位置しています。

標高が高いため酸素が薄く、山肌には植物などもほとんど生えていないとても過酷な環境です。

そんな環境のなか、ティンギュー村に住む人々は自給自足の生活をしています。

ここの部族は、何百年も前から現在に至るまで変わらない生活をし続けており、現代文明に触れることなく生きていることから最後の秘境といわれています。

これは現地出身の画家が描いたティンギュー村の人々の暮らしの様子。

ヤクの背中に食料やテントなどの荷物を乗せ、移動しながらキャラバンを形成して暮らしていたと言います。

ドルポにある神秘の湖『ポクスンド湖』

ドルポ地方にある湖として有名なのが、ポクスンド湖

ポクスンド湖は、ヒマラヤ水晶の原産地として知られるガンジロバヒマールを源流とする湖。

非常に美しい青色(エメラルドグリーン)の水が特徴的で、神秘の湖といわれています。

伝説では、魔女の涙によってできた湖とか。

いずれにしても凄まじいパワーが宿っているとされ、ここの地方で取れた鉱石や水晶はパワーストーンとして高値で取引されているようです。

ドルポ地方は河口慧海が訪れた地

実はこのドルポ地方、日本人僧侶である河口慧海が訪れたちとしても知られています。

河口慧海とは?

河口 慧海(かわぐち えかい、1866年2月26日(慶応2年1月12日) – 1945年(昭和20年)2月24日)は、黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。

中国や日本に伝承されている漢語に翻訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意。日本人として初めてチベットへの入国を果たした。

出典:wikipedia

現在はネパール領となっているドルポですが、当時は西チベットに属していました。

河口師がこの地域を訪れたのは明治33年。

今から100年以上も前のことであり、現代のような現地の情報は一切なかった時代です。

その時代に、彼はなんと2度もこの地域を訪れたというのだから驚嘆に値します。

彼はチベットを訪れた際のことを日記に記しており、この日記は現在も日本に現存しています。

河口慧海師がチベットに至ったルートは、通称『慧海ルート』と言われており、ドルポ地方を訪れる人のなかにはこのルートをたどる人も多くいるようです。

ちなみに、彼は『明治30年の6月に神戸港を出発→明治33年カトマンズに到着』とされています。

つまり、日本を出発してからネパール中心地のカトマンズに到着するまでに、約3年もの時間が掛かっているわけです。

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