【北朝鮮に拘束】杉嶋岑=日経記者の経歴と経緯 代理人がTBS?画像あり

事件

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

日朝関係は依然として冷え込んだままですが、過去に北朝鮮に拘束された日本人・杉嶋岑さんが当時の状況や体験についてのインタビューに答え、話題になっています。朝日新聞によれば、以下のように報道。

「1999年12月、よど号ハイジャック犯を追悼するため、6人で北京から北朝鮮に入った。帰国当日、空港に向かうはずの車が突如、平壌市内のホテルに向かい、同乗していた監視員に一室に連れ込まれた」

 「取調官から『スパイ容疑』と言われた。カメラや財布を没収され、3カ月もの間、1日約9時間の尋問が続いた。食事は3食出ていたが、自殺を考えたこともあった」

「尋問では日本政府のスパイだと認めるよう強要された。内閣情報調査室や公安調査庁との関係を調べているようで、取調官は私が過去に政府側に提供した北朝鮮の情報や写真を全部知っていた」

当時日経新聞の記者であった彼は、取材のために訪朝。その帰りに拘束されたといいます。


画像あり!杉嶋岑=日経記者の経歴と経緯

毎日新聞では、杉嶋岑さんの経歴を以下のように紹介。

杉嶋岑(すぎしまたかし)
静岡県生まれ。日本経済新聞記者時代に取材のため初めて訪朝。記者を辞めた半年後の1999年12月、5回目の訪朝で当局に拘束される。平壌市内のホテルや団地の一室など6カ所を転々としながら取り調べを受けた。

2002年2月に釈放され帰国。11年3月、拘束時の体験をつづった「北朝鮮抑留記 わが闘争二年二カ月 1999年12月~2002年2月」(草思社)を出版。拘束の状況や北朝鮮の生活事情、当局とのやりとりなどをメディアを通じて発信している。日本政府は杉嶋氏が釈放されるまでの経緯や交渉過程を明らかにしていない。

過去に何度も北朝鮮を記者として訪れていた杉嶋岑氏ですが、5回目のタイミングで拘束されました。

あくまでも本人の推測ですが、杉嶋氏は自分が再度訪朝することを待っていて、拘束するタイミングを計っていたのではないか?とおっしゃっています。

過去4回の訪朝では身の危険を感じることはなかったものの、すでに拘束すべき邦人の対象者としてリストアップされていたのかもしれないという趣旨の発言をされています。

北朝鮮とのやり取りの代理人はTBSだった

およそ2年もの間北朝鮮に拘束された杉嶋岑氏ですが、釈放の条件として当時北朝鮮は身代金を要求していました。

この金額や具体的な内容については明らかにされていませんが、この身代金交渉の代理人を務めたのはTBSでした。

なぜTBSになったのか?どういう経緯でTBSが選ばれたのか?ということについても、情報は表に一切出てきていないため分かりません。

もっといえば、彼が釈放された理由やその経緯についても日本政府は明らかにしていません。

一部では多額の身代金を渡したという噂や、外交関係で相当な譲歩をしたという噂もありますが、いずれも明確な根拠はありません。

ただし、杉嶋岑氏本人は『北朝鮮の目的はなんだと思いますか?』という質問に対して以下のようにコメント。

「当時は日朝国交正常化交渉が再開される数カ月前。北朝鮮は対日外交を有利に進めるためにカードを欲していたはずだ。私の釈放と引き換えに、日本から外交上の譲歩を引き出せると考えたのだろう」

この時の日本の首相は小泉純一郎氏。杉嶋岑氏が拘束されたのが1999年の12月です。

そして、その4か月後に日朝国交正常化が7年ぶりに再会されました。

このタイミングを考えると、外交で何らかの譲歩を日本側がした可能性というのはかなり高いかもしれません。