こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。
ポップス歌手として活躍された弘田三枝子さんが死去しました。
無くなる直前まではいつもと変わらない元気な様子だったとのことで、周囲からも驚きの声が多く上がっています。
ここでは突然の訃報が報じられた弘田三枝子さんについて詳しく取り上げていきます。
弘田三枝子が死去死亡で死因=心不全
【訃報】歌手の弘田三枝子さんが心不全のため死去 73歳https://t.co/RSE5RaZcyg
弘田さんは1961年にレコードデビュー。『ヴァケーション』『夢見るシャンソン人形』『レオのうた』など大ヒットを連発した。 pic.twitter.com/QB4mVuIkQQ
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 27, 2020
この件について、デイリースポーツなどは以下のように報じています。
歌手の弘田三枝子さん(本名・竹永三枝子)が21日に亡くなったことが27日、分かった。73歳。心不全だった。
所属事務所によると、弘田さんは20日に千葉県内の自宅で倒れ、病院に搬送。21日に亡くなったという。倒れる前日まで変わりなく元気だったといい、すでに親族で密葬を執り行った。
弘田さんは61年11月に「子供じゃないの/悲しき片思い」でレコードデビュー。その後「ヴァケーション」「想い出の冬休み」「悲しきハート」などカバーポップスでヒット曲を連発した。
報道によると、弘田さんが亡くなったのは今月21日。
死因は心不全とのことで、まさに突然のお別れになりました。
弘田さんに関しては、晩年も入院や闘病などに関する報道はなく、体調もいつもとかわらず悪くなかったといいます。
ちなみに、同日には世界的デザイナーとして活躍した山本寛斎さんも亡くなっており、ネット上では偉大な方が2人も亡くなった日として語られています。
弘田三枝子は天才歌手として人気に↓今年でデビュー60周年
追悼、弘田三枝子。#nowplaying 雨の日と月曜日は – 弘田三枝子 – ゴールデン☆ベスト ~イエスタデイ・ワンス・モア~ pic.twitter.com/HzM7wyE56b
— ウシオ (@chiakichi_ushio) July 27, 2020
弘田三枝子さんは、1947年2月5日生まれの日本の歌手。
児童劇団として有名だった劇団こまどりに小学生時代に入団し、この頃から本格的に歌手活動をスタートさせました。
当時から歌唱力には定評があり、数々の名カバー曲をヒットさせ、天才歌手として話題に。
2020年にはデビュー60周年ということもあって、コンサート等が開催される予定でした。
それだけに、弘田さんのファンからは惜しむコメントが数多く投稿されています。
2018年にテレビ出演した際の近影
弘田三枝子さんは近年テレビ出演の機会がそれほどありませんでしたが、2018年にその姿が放送されました。
人形の家を披露しており、ファンからも多くのコメントが投稿されています。
痩せ細って体調を心配する声もありましたが、昔と変わらない素晴らしい歌声を披露されていました。
ネットの反応
今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?
ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。
人形の家、子どもの頃 怖い歌だと思っていた。
今は大好きな歌。 カラオケで歌ってます。
ご冥福をお祈りします。
数年前にテレビで近影を観た時はびっくりしましたが、お茶目な明るい喋り口調は昔と変わっていなかったです。
かなり細身の印象だったので、お身体にも負担があったのではと勘繰ってしまいます。
ご冥福をお祈りします。
パンチの効いた歌と声。バケーションは皆真似して口ずさんでた思い出があります。数年後。人形の家を出したとき顔が余りにも違ってて驚き過ぎました。凄く上手い歌手と顔が変わり過ぎたのが想いでの中で折り合いが付かないままでした。亡くなられたのは病気ですか?ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
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