【死因は病気?】史明(施朝暉)が死去 台湾独立運動家の経歴と左目の失明

訃報

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

台湾独立運動家として生涯を捧げてきた、史明(本名=施朝暉)さんが死去しました。

地元台湾メディアを中心に、世界のメディアがこぞってこの訃報を取り上げています。

中国と台湾の関係悪化などが進む中、史明さんの死去は国内でも大きく取り上げられています。


死因は病気?史明(施朝暉)が死去

今回の訃報について、共同通信などは以下のように報じています。

史 明氏(し・めい=台湾の独立運動家、本名施朝暉=し・ちょうき)台湾メディアによると20日夜、台北市内の病院で死去、100歳。台湾で独立運動を推進、亡命先の日本でも中華料理店を営みながら運動を続け、日本語で「台湾人四百年史」も著した。

18年、日本統治時代の台湾生まれ。早大政経学部卒。41年の太平洋戦争開始を受け抗日運動参加のため中国に渡り共産党の活動に加わったが、後に失望、49年に台湾に戻り独立運動を推進した。

出典:共同通信

報道にある通り、史明さんが100歳という年齢で亡くなりました。

直接的な死因については言及されていませんが、台北市内の病院で亡くなったということで、病気か老衰による死去だと思われます。

ネットからは、『今こそ史明さんのような活動家に頑張ってほしい』という声が上がっており、100歳の大往生にねぎらいの言葉をかける人も多いようです。

台湾独立運動家の経歴と左目の失明

史明さんは、1918年生まれの台湾独立運動家。

彼が生まれたのは台北州士林であり、当時の台湾は日本が統治を行っていました。

大学で日本に留学し、早稲田大学を卒業。

若い頃は中国共産党の思想に共感し、反帝国主義の思想に執着していたといわれています。

ただ、中国に渡った彼は、中国共産党の実態を知り失望したといいます。

1党独裁の体制を見た彼は、この時期から中国からの台湾独立思想を持つようになりました。

史明さんについては、左目の失明が独立運動で生じたものなのか?という噂もありますが、詳しいことは不明です。

ネットの反応

今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?

ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。

中共の圧力で台湾と国交断絶する国が増えているけど、こういう人には頑張って欲しいです。

お悔やみ申し上げます。
日本は台湾の味方です。日本国民は台湾の事を友好国だと思っています。台湾の事は安心してゆっくりやすみください。台湾・香港・チベットは中国から独立すべきです。

ご冥福をお祈りします。独立出来る事を日本人も願ってます。こういった方々が正しい発信していただいてたから東日本大震災でも台湾の方々からの温かい支援があったのだと戦争を知らない世代の自分達は思います。