こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。
三島由紀夫が結成した盾の会の元メンバーとして知られる小川正洋氏が死去しました。産経新聞などによると、以下のように報じています。
作家の三島由紀夫が昭和45年に陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乗り込んで割腹自殺した「三島事件」に「楯の会」メンバーとして参加した小川正洋(おがわ・まさひろ)氏が26日、心不全のため死去した。70歳。通夜は28日午後7時、葬儀・告別式は29日午前11時、浜松市中区向宿3の3の25、浜松葬儀はまそう会館浜松南で。喪主は長男、紀一郎(きいちろう)氏。
三島事件で監禁致傷などの罪で懲役4年の実刑判決を受けた後、妻の実家がある浜松市で過ごし、安倍基雄元衆院議員の秘書や旧民主党静岡県連事務局長を務めた。
世界的に知られることになった三島事件を決行した人物として、有名になった彼。
子供ながらにこの事件を鮮明に覚えているという人も多く、突然の訃報が注目を集めています。
死因は病気?小川正洋(元盾の会)が死去
死因は報道にもある通り、心不全とのことです。
晩年は妻の実家がある浜松市で静かに暮らしており、詳細な活動が報じられることはありませんでした。
そのため、病歴などに関しては公にされていない者の、家族にとっても突然の死であったと思われます。
後世に語り継がれる大きな事件の真相を知る人物が亡くなってしまうのは、どこか惜しい気もしますね。
ネットの反応
今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?
ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。
子供だったが、印象に残る事件だ。
事件の後、心境の変化があったのだろうか、民主党の御仕事もされていたらしいね。合掌
三島と言う希代の天賦を知る人も減るにつれ三島事件を覚えている人も風化の波に揉まれ消えていくのかと思うと時代だなと痛感する。死後48年、ただ間違いなかったのは日本は三島が憂いたように成り果てたと言うことかな。
三島の独りよがりで大掛かりな自殺に巻き込まれた人。
当時は三島に心酔していたのだろうが、構図としてはオウムと変わらない。
あらゆるものは、生まれて生きて死ぬ。
この人は良く生きたのだろうか?
現在(近年)の活動と小賀正義との関係
小川正洋氏は1972年4月27日に実刑判決が下されました。
その後、1974年には仮出所をしており、出所直後には故郷の千葉県で暮らしているということが報じられました。
2000年代に入ってからは三島由紀夫の死を追悼する目的で行われている憂国忌(ゆうこくき)という追悼集会の実行委員として活動していたという話も出ていますが、真意のほどは分かりません。
ただ、盾の会に密接にかかわっていた人物ですので、憂国忌の実行委員として活動していたというのはなんら不思議ではありません。
また、彼とともに事件を主導し、懲役判決を受けた小賀正義氏についても同様に憂国忌の実行委員としての活動が噂されているものの、現在は和歌山県で就職、結婚し静かに暮らしているという話もあります。
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