こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。
元調教師として有名だった伊藤正徳さんが死去したと報じられました。
安田記念や富士ステークスなどを勝利したエアジハードの調教を行ったことでも有名な調教師です。
突然の訃報に競馬ファンを中心に悲しみの声が上がっています。
伊藤正徳が死去で死因は何の病気?
伊藤正徳・元調教師が死去|WIN!競馬 https://t.co/PGJAsDmzuu #keiba #jra @winkeiba_dmから pic.twitter.com/fj80kZaNOa
— WIN!競馬_総合 (@winkeiba_dm) August 21, 2020
この件について、スポーツ報知などは以下のように報じています。
1999年の安田記念、マイルCSで春秋マイル制覇を達成したエアジハードなどを管理した伊藤正徳元調教師が20日に亡くなっていたことが21日、分かった。日本調教師会関東本部がJRAを通じて発表した。71歳だった。関係者によれば、今年に入って体調を崩していたという。
1968年に名門・尾形藤吉厩舎からデビュー。柴田政人、岡部幸雄、福永洋一といった華々しい同期と切磋琢磨(せっさたくま)するなか、同期一番乗りで77年の日本ダービーをラッキールーラで制覇するなど活躍。騎手時代は通算282勝を挙げた。
87年に調教師免許を取得後は、エアジハードの他にもマイネルブリッジ(重賞3勝)、ローエングリン(重賞4勝)などを管理。2019年の引退までG12勝を含む重賞22勝、通算518勝の成績を残した。
報道にある通り、元調教師の伊藤正徳さんが亡くなったことが報じられました。
具体的な死因については報じられていませんが、スポーツ報知では『体調を崩していた』と報じられています。
一方、WIN競馬などでは以下のように記載されています。
JRA(日本中央競馬会)の伊藤正徳・元調教師が病気のため20日に死去した。享年71。父は1936年にトクマサでダービーを制した伊藤正四郎・元調教師。
<中略>
今年に入り体調を崩し、入退院を繰り返していた。
出典:WIN競馬
この報道にもある通り、2020年に入ってから入退院を繰り返していたとのこと。
ただ、具体的な病名などは報じられていません。
伊藤正徳が所属した厩舎はどこ?
別れは寂しい。
けれど、想いは受け継がれていく。2019/02/24 14:06
Nakayama Racecourse
伊藤正徳
山田敬士 pic.twitter.com/zimzjpkZXV— Akihiko Takeda. (@Aki_piko) February 24, 2019
伊藤正徳さんは、1948年10月22日北海道生まれ。
調教師であった父・伊藤正四郎氏の影響などもあり、自身も調教師の道を歩みました。
調教師としてのキャリアをスタートさせたのは、父の師匠でもあった尾形藤吉からです。
それ以降の所属厩舎は以下の通り。
尾形藤吉(1968 – 1975)
尾形盛次(1975 – 1982)
尾形充弘(1982 – 引退)
調教師としては、重賞17勝を誇る名調教師でした。
ネットの反応
今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか?
ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。
ネヴァブションも管理していらっしゃいましたね。この記事では名が挙がっていませんが。あの馬もAJCC連覇を含む重賞3勝を挙げている馬なんですけどね。
ご冥福をお祈りいたします。
天国で後藤騎手に会ったら、どんな会話するのかな。
お疲れ様でした。
ただ天国で後藤浩輝を少し叱ってやって下さい。
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