こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。
NNNドキュメント 「孤独をなくしたい 進め、分身ロボット」で放送された番田雄太氏が話題になっています。
彼は吉藤オリィ氏が代表を務める株式会社オリィ研究所で一従業員として働いていました。4歳の頃に事故に遭い、それから人生のほとんどを病院で過ごすことになりました。
ご本人のTwitterでは以下のように自己紹介されています。
株式会社オリィ研究所の「OriHime」パイロット兼寝たきり秘書を勤めています! 『心が自由であれば何でもできる!』『寝たきりでも世界を楽しく変える』をコンセプトに活動しています! 《誰もが外と繋がり、想いをカタチにできる未来の創造》に向けて、私自身も活動しています!
寝たきりの生活の中で、自分の想いを形にしていこうという心持は多くの人が心動かされるのではないでしょうか。そんな番田雄太氏ですが、2017年に死去されました。株式会社オリィ研究所の公式フェイスブックページでは以下のように報告しています。
既にご存知の方もおられると思いますが、2014年よりオリィ研究所に関わり、2015年より契約社員、寝たきり秘書として活躍してくれた番田雄太が永眠いたしました。
2017年9月に28歳という若さで亡くなった彼ですが、株式会社オリィ研究所が注目されると同時に彼も注目を集めています。
交通事故の過去。番田雄太氏の経歴
公式フェイスブックページでは彼の経歴について以下のように記載しています。
番田は4歳で交通事故にあい、特別支援学校にいく事もなく、9割の時間を病院の中で過ごし、沢山の亡くなる子供を見送ってきました。
これから産まれてくる同じような状況の子達に同じ想いはさせたくないと、そのためにOriHimeの開発に参加したのだと、講演ではOriHimeを通して訴え続けていました。
4歳の頃に交通事故で受傷。頸髄損傷となり、
首から下が動かず呼吸器もつけています。
再生医療が実現することで手が使えるようになれば嬉しいなと思います。希望を捨てず、いつか夢である音楽の道へ…それまで絶対にさまざまな思いを叶えていきたい。
自分がMr.childrenに助けられたように音楽は未来を変える、夢を与えることができると思っています。これまでに自分が経験したことを教育に福祉に生かせるようにいろんな視点から物事を見ていき、考えていく。
障害を持った子どもが普通に生き、普通に夢を描けるように。そしてどんな人にも未来を見つめられる世界になるように少しでも貢献したい。自分の可能性を広げ、出会いの輪を広げ、大きな目標を実現できるように。
そのための力を立場を完成させるために今頑張っています。プログラミング、グラフィックアート、Webデザイン、作詞、障害児教育などさまざまな分野に興味があります。
中途半端にせず最後までやり通すをモットーに頑張ります。
4歳の頃に遭遇した交通事故によって脊椎を損傷。それ以降は寝たきりの生活を病院で送っていました。
ほぼ全身が動かなかった彼は、唯一自分の意志で動かせるあごを使ってPC操作を行っていたそうです。
代表の吉藤オリィ氏とともに、分身ロボットの開発と実用化に挑んだ相棒である番田雄太氏の存在は多くの人に知ってもらいたいとTwitterを中心に拡散されています。
実際に体が不自由であることが分身ロボットの実用化につながった
分身ロボットOriHimeの実用化には、番田雄太氏の存在が不可欠だったと思います。
実際、2017年の初旬に重度障害を抱える番田雄太氏が岩手県のローカル氏で特集されたことがありました。
このときの新聞記事では、分身ロボットで会社勤務を行う番田雄太氏の様子が写真付きで掲載されており、同じような障害を抱える方にとってかなりの勇気付けになったのではないでしょうか。
障害を抱えていて、健常者と同じように働くことができない人の積極的な社会進出を推し進めるために、この分身ロボットOriHimeは非常に有益だと思います。
ぜひ、今後認知が広がっていき、日本各地で実用化がされていくといいですね。
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