【死因は病気?】高田勇(元長崎県知事)が死去 長崎空港ビルディング社長も

訃報

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

元長崎県知事として自然災害に対する対策で大きな功績を残された高田勇氏が死去しました。西日本新聞によれば以下のように報じています。

長崎県知事を4期16年務めた高田勇(たかだ・いさむ)氏が8日午後2時43分、心不全のため長崎市の病院で死去した。92歳。東京都出身。家族で密葬を行い、後日、長崎でお別れの会を行う。喪主は妻府子(もとこ)さん。

東大法学部を卒業して総理庁(現総務省)に入り、1970年に長崎県総務部長として出向。副知事を経て、82年の知事選で初当選した。

1991年に起きた雲仙普賢岳の災害対策や水害対策に対して大きな功績を残し、長崎県では名士として有名です。

今回は訃報が報じられた高田勇元長崎県知事について取り上げます。

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死因は病気?高田勇(元長崎県知事)が死去

冒頭に掲載した通り、高田勇氏の死因は心不全です。

長崎新聞の報道によれば、2018年8月中旬から体調不良を訴え長崎市内の病院に入院していたとのことです。

体調不良の内容については不明ですが、死因から考えると胸の痛みや苦しみ、もしくは心筋梗塞などで起きる吐き気や倦怠感などがあったものと思われます。

高齢であったこともあり、心不全により急逝されました。

自然災害対策への功績 長崎空港ビルディング社長も歴任

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高田勇氏は長崎県知事時代に『長崎大水害』『雲仙普賢岳噴火』という大型災害を経験されています。この自然災害対策の指揮をとったのが彼で、その功績を西日本新聞は以下のように報じています。

91年の雲仙・普賢岳災害では、住民の立ち入りを禁止する警戒区域を設けるために鐘ケ江管一島原市長を説得。警戒区域の設定から31時間後に大火砕流が発生し、多数の人命が救われた。全国初の災害復興基金「雲仙岳災害対策基金」をつくり、被災住民の住宅再建を支援した。

このほかにも、諫早湾干拓事業の見直しを推し進めたのも高田勇氏です。

また、日中関係などの外交問題に対しても尽力されています。

85年の中国駐長崎総領事館開設にも尽力。98年には江沢民国家主席と北京で会談し「中日友好の使者」の称号が贈られた。知事退任後は長崎空港ビルディング社長などを務め、99年に勲一等瑞宝章を受章した。

この報道にもある通り、1998年の知事選に出馬せず、その後は長崎空港ビルディングの社長職に就き活躍の場をビジネスに移しました。

このほかにもサッカー指導者である小嶺忠敏氏が2007年に参議院選挙に出馬した際、高田勇氏は後援会の会長を務めたという過去があります。

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