【訃報】鶴澤寛治(人間国宝)が死去した死因は?人形浄瑠璃文楽三味線

訃報

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

日本の文化を継承する人間国宝の訃報が報じられました。文楽義太夫節三味線方の名跡であり、人間国宝でもあった鶴澤寛治さんが2018年9月5日未明に死去したと各紙が報じています。以下、時事通信から引用です。

人形浄瑠璃文楽三味線方の第一人者で人間国宝の鶴澤寛治(つるざわ・かんじ、本名白井康夫=しらい・やすお)さんが5日午前4時30分、奈良県生駒市の病院で死去した。
89歳だった。京都市出身。葬儀は7日午前11時から大阪市西区江戸堀1の10の31の金光教玉水記念館で。喪主は妻白井香衣(しらい・よしい)さん。

1943年に父の鶴澤寛治郎(後の六代目鶴澤寛治)門下で寛子を名乗り初舞台。56年に八代目竹澤団六襲名。94年から三味線格(三味線の最高位)。97年人間国宝。2001年に七代目鶴澤寛治を襲名した。

時代物から世話物まで幅広くこなし、人物の心情や情景に合わせた表現力豊かな艶のある演奏で知られた。後年は今年4月に死去した太夫(語り手)で文化勲章受章者の竹本住太夫さんとの舞台が好評を博した。
孫の鶴澤寛太郎さんも文楽三味線方として活躍している。

江戸時代から続く三味線の名跡をである鶴澤寛治の7代目になります。

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鶴澤寛治(人間国宝)が死去した死因は?

各紙で死去したとの訃報が速報で流れたものの、死因については記載されていません。

スポニチアネックスの報道によれば、遺族の意向によって死因の公表はしないと記載されています。以下引用。

人形浄瑠璃文楽座・三味線で勲四等旭日小綬章、重要無形文化財保持者(人間国宝)の鶴澤寛治(本名 白井康夫)さんが5日、奈良県生駒市内の病院で午前4時30分に亡くなったことが分かった。89歳。文楽協会によると遺族の意向により、死因の公表はしないという。

ただし、同誌によれば2016年の12月から公演を体調不良で休演したり、それ以降の公園についても周りの人と体調を相談しながら出演を続けていたといいます。

死因が遺族の意向で公表しないというと、よからぬ噂がネットで広まりますが、鶴澤寛治さんの場合は病院で亡くなっており、病死であることは確かです。

病死で死因を公表しない理由としては、一般的に最後の姿を想像されなくないというものや、公にしたくない病であるというような理由が考えられます。

逸見政孝さんのがん闘病以来、芸能人でもガンによる闘病を公表する人は多くなってきましたが、以前はがん闘病はもちろん、死因も伏せていた傾向にあります。

このような点を踏まえて考えると、死因はガンである可能性が高いと思われます。

鶴澤寛治は江戸時代からの名跡

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この度亡くなられた7代目鶴澤寛治氏の経歴を簡単に引用しておきます。

父は六代鶴澤寛治。6歳ごろから地歌を習い、13歳で父から義太夫に使う低音の三味線、太棹(ふとざお)の手ほどきを受ける。1943年4月、父に入門。初名は寛子(かんこ)。同年10月、大阪・四ツ橋文楽座「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)・酒屋」で初舞台を踏んだ。44年1月、鶴澤寛弘(かんこう)に改名。56年1月には大阪・道頓堀文楽座で八代竹澤団六を襲名した。

94年4月より三味線弾きの最高格である「三味線格」になり、97年に人間国宝に認定された。2001年1月、七代鶴澤寛治を襲名した。

機関車の運転士を夢見ていたが、戦時中の人手不足から文楽の道に。豊満で艶(つや)のある音色を生かし、端正で柔らかく上品な芸風を確立した。時代物、世話物から景事(けいごと)まで幅広い演目をこなした。

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