【死去】菅井きんが心不全 佐藤正之との息子や娘は?

女優

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

2018年8月23日付のNHK NEWS WEBで大物女優の訃報が入ってきました。8月10日な亡くなったのは映画やドラマさまざまな作品で活躍した菅井きんさん。以下のように報じています。

数多くの映画やドラマなどに名脇役として出演し、しゅうとめ役などで人気を集めた俳優の菅井きんさんが今月10日、心不全のため亡くなりました。92歳でした。

また、オリコンニュースでは以下のようにも報道。

「必殺」シリーズや映画『どですかでん』『お葬式』など多くの名作に出演した女優の菅井きん(本名・佐藤キミ子)さんが10日、心不全のため都内の自宅で亡くなっていたことがわかった。

事務所によると、通夜密葬を近親者にて済ませ、偲ぶ会などを催す予定はないとう。

活動自体は2010年ごろから行っておらず、この年には自宅での転倒事故もありました。マスコミの報道では大腿骨を骨折しており、歩けなくなってしまったと言われています。

ここでは大物女優として活躍された菅井きんさんについて取り上げます。

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菅井きんさん死去 死因は心不全

冒頭でも取り上げたように、心不全によって8月10日に死去されました。

ただし、発表直後ということもあり、一部の情報が錯綜しています。死去された場所についてオリコンニュースでは『自宅』と書かれているものの、NHK系列では『介護施設』と報道。ここについては正確な情報が入り次第、追記いたします。

2010年からメディアへの出演はほとんどなかったものの、2014年にフジテレビのノンストップに出演し、話題を呼びました。このときには噂になっていた認知症疑惑も否定されています。

認知症疑惑については、2014年6月12日発売の週刊誌『女性セブン』で以下のような独占スクープが報じられました。

女優の菅井きんさんは認知症で要介護3の認定を受け、特別養護老人ホームに入所している。
すでに徘徊の症状も出ている様子。

ただ、この報道が出て間もなく、菅井きんさんご本人が認知症疑惑について否定しています。この疑惑の否定について報じたデイリーの記事がこちら。

女性週刊誌に菅井が認知症で要介護3の認定を受け、徘徊も始まったと報じられた。この記事を知った菅井は「腹が立ちました。弱い者いじめだと思って」。以来、車イスながら外出することも増え、積極的に生活することに努めているという。

レストランでは肉を食べたり、タバコも1日5本は吸う。しかし、仕事復帰はあきらめていて「もう女優じゃないです。無理ですもん」と寂しそうに話した。

この疑惑否定記事の上、2014年のテレビ出演でこの疑惑がデマであったことが明らかになったわけですが、世間では要介護3とはいかないまでも、女優業に復帰できる状態ではないのではないか?という意見がテレビ出演後は多く出ていました。

実際、2010年にあった自宅での転倒事故の際には、介護なしでは歩くことすらままならない状況でした。ご高齢での寝たきり生活というのは認知症を引き起こすリスクが数倍に膨れ上がるとも言われています。

当時の週刊誌はこのような憶測で記事を書いていた可能性がありますね。

ただ、それ以降は再び芸能活動を自粛。関係者の話によれば、体調はそこまで芳しくなかったとのことです。

佐藤正之との間に息子や娘など、子供はいた?

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ネット界隈でよく噂になっているのが映画プロデューサーであった佐藤正之との結婚とその間に生まれた子供です。

ご存知の方も多いと思いますが、実は菅井きんさんは流産を経験されています。流産してしまった赤ちゃんも佐藤正之との間にできた子供です。

その数年後、娘さんを無事出産されていますが、一般人であるため公にはほとんど情報が公開されていません。

まとめると、息子さんはいませんが、娘さんがお一人います。

※息子さんはいる?とネットで噂になっているようですが、流産されたときの赤ちゃんの性別が男の子だったという話はあります。

菅井きんさんの経歴と生い立ちを振り返る

菅井きんさんは必殺シリーズや太陽にほえろ!を始め、昭和の数々の名作に出演されてきました。その活動の場は広く、舞台へも積極的に出演。主役の座に就くことはほとんどなかったものの、日本映画界に欠かせない名脇役の座を確固たるものとしました。

以下、生い立ちを引用します。

東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区)早稲田町出身。頌栄高等女学校卒業。第二次世界大戦末期から終戦直後まで、徴用逃れで文部省総務課・東京帝国大学学生課で事務職員として勤めていた。しかし演劇への情熱が捨てられず、劇団俳優座に入団し舞台に立つ。芸名の「菅井きん」は、本名(当時は旧姓)をもじったものであり、新劇時代の恩師である脚本家の久保栄に付けてもらった。「東大の事務職員を辞めて、本格的に女優になりたい」と父に相談したところ、「女優とは美しい女性がなるものだ」と反対され、舞台を見ることなく1971年ころに死去している。新劇時代に映画監督に映画女優としてスカウトされ、1951年に『風にそよぐ葦』で映画デビューの後、数々の映画、テレビに出演。

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