【国連事務総長】コフィ・アナンが死去 死因は何?ノーベル平和賞も受賞

海外

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

元国連事務総長のコフィ・アナン氏が2018年8月18日にスイスで死去しました。享年80歳です。産経新聞は以下のように報じています。

米中枢同時テロやイラク戦争など世界が大きく揺れた1997~2006年に第7代国連事務総長を務め、01年にノーベル平和賞を受賞したコフィ・アナン氏が18日、スイスで死去した。死因などは不明。コフィ・アナン財団が発表した。

18日に死去した元国連事務総長のコフィ・アナン氏は、米中枢同時テロイラク戦争に直面した難局の時代に難しいかじ取り役を担った。超大国にも毅然(きぜん)と立ち向かう姿勢は、国連の権威を復活させたとして評価される。

国連職員から事務総長にまで上り詰めた彼の経歴や死因について詳しく見ていきたいと思います。

スポンサーリンク


コフィ・アナンが死去 死因は何?

冒頭で書いた通り、コフィ・アナンが18日に死去されました。しかし、現時点での死因は不明と各紙が報じています。

まだ情報が錯綜していて、正しい情報がないというのが主な原因だと思われますが、一次情報を基に独自に彼の死因について調査してみました。まず、朝日新聞では以下のように報じられています。

ロイター通信によると、スイス・ベルンの病院で死去した。

このことから、病院で死去したという事実が分かります。運ばれて死去されたのか、それとも入院中に死去されたのかは定かではありませんが、いずれにしても病死の可能性が高いとおもわれます。

病歴などの情報はないことから、急性の病気である可能性は高いでしょう。

例えば、急性心不全や脳梗塞、心筋梗塞のようないきなり命に係わる病です。

正確な情報が発表され次第、追記いたします。

コフィ・アナン氏の経歴について

スポンサーリンク

コフィ・アナン氏は一職員から国連事務総長にまで上り詰めたその経歴から、多くの人に慕われました。人気もありましたし、カリスマ性もあった人物です。産経新聞では以下のように彼の経歴を振り返っています。

西アフリカのガーナ出身。1962年に国連事務局に入り、国連平和維持活動(PKO)担当事務次長や、旧ユーゴスラビア担当国連特別代表などを歴任。97年に、「たたき上げ」の国連職員として初めて国連事務総長に就任した。

アフリカ出身の事務総長として、弱者や人権に重きを置く国連の基礎的な価値観を重視し、テロ防止やエイズ対策、PKOの機能強化などを推進。2003年に、米国が安全保障理事会決議を経ずに主導したイラク戦争に「国連憲章違反」と一貫して反対した。

また、国際連合広報センターでは以下のように経歴を伝えています。

アナン氏は1962年、ジュネーブの世界保健機関(WHO)の行政・予算担当官として国連システムに加わりました。その後、アジズアベバのアフリカ経済委員会、イスマイリアの国連緊急軍(UNEF II)、ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤務したほか、ニューヨークでは人材、予算、財務および職員の安全性を扱う様々な上級職を歴任しています。事務総長就任の直前には平和維持活動(PKO)担当の事務次長を務めています。さらに旧ユーゴスラビアに関する事務総長特別代表として任務を遂行した(1995~1996年)ほか、900人を超える国際職員および非イラク国民のイラクからの帰還を促進しました(1990年)。

アナン氏はガーナのクマシ科学技術大学で学んだ後、1961年に米国ミネソタ州セントポールのマカレスター大学経済学部を卒業しました。1961年から1962年にかけてジュネーブの国際高等大学で大学院課程を履修、1972年にはマサチューセッツ工科大学のスローンマネジメントスクールで科学修士号を取得しました。

国連事務総長の在任期間中である2001年にはノーベル平和賞も受賞しており、日本でも一気に有名になりました。

スポンサーリンク

最後までお読みいただき誠にありがとうございました!
当サイトでは好奇心をくすぐり、ためになる情報を事実に基づき発信しています。
是非ブックマークやTwitter、シェアボタンの方を押していただけますと幸いです。ほかの記事も是非お楽しみください。