【元阪神スカウト】岡田悦哉(英津也)が死去 会場はどこ?非公開の理由

スポーツ

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

2018年8月11日に元阪神の非常勤顧問であった岡田悦哉氏が死去しました。ネットニュース『デイリー』は以下のように報じています。

元阪神の非常勤顧問(スカウト)を務めた岡田悦哉(おかだ・えつや)氏が11日、肺炎のため死去した。87歳だった。
通夜は15日午後6時から、告別式は16日正午から執り行われるが、遺族の意向によりいずれも会場は非公開で、香典、弔電、供花などは辞退されている。

中日時代には明治大学の後輩であった星野監督を支えたことで、生前、星野監督は岡田悦哉氏に全幅の信頼を置いていたと話しています。

そんな一時代を築き上げた球界の偉人がまたひとり旅立ったのですが、葬儀、告別式の会場は非公開とのことでファンの間ではどうして?という声が広がっています。

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葬儀・告別式の会場が非公開の理由

各紙一斉に『会場は遺族の意向で非公開』と報じたため、そこに関心が行ってしまっていますが、理由は純粋に近親者のみで執り行いたいと考えているからでしょう。

喪主は妻の久子さんが担当と報じられていますが、奥さんも岡田悦哉氏同様、80歳を超える御年です。お子さんに関しては公表されていませんが、球界の関係者やファンを呼んで大々的に行うほどの施設や準備ができる状態ではないということも考えられます。

参列や供花はおろか、弔電さえも辞退するというのは珍しいことです。

葬儀告別式の会場は三鷹市周辺か

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ファンの間では葬儀告別式の会場はどこ?という声も上がっています。

東京都内の斎場で有名なところといえば、東京都青山葬儀所代々幡斎場、桐ヶ谷斎場などが思い浮かびますね。いずれも全国的に有名な斎場で、著名人から一般人まで幅広く利用されています。

ただし、近親者以外を大々的に呼ばないということを考えると、上記の斎場は考えられません。

可能性としては岡田悦哉氏が生前入院していた三鷹市内の病院周辺である可能性が高く、その周辺で有名な斎場というと三鷹市民斎場があります。少人数でしめやかに行う家族葬を謳っている斎場です。

他にも、やすらぎ都民斎場という場所も三鷹駅近くにあります。

一時代を作り上げた強力な育成力

岡田悦哉氏の詳細を知らないという人も今では多くなってしまったと思います。ただ、表にはあまり出ていないものの、球界に大きく貢献した大功労者であることは一部の人間のなかでは有名な話です。

岡田悦哉氏はすでにご存じの方も多いようにプロ野球経験は一切ありません。アマチュア野球しか経験のなかった彼が「根本陸夫の腹心中の腹心」とまで称されるようになった所以はどこにあるのでしょうか?

彼は高校時代からマスコミ注目の選手ではありました。

3年生の春に岡田悦哉はセンバツ大会に出場。ここで俊足の選手として岡田悦哉は知られることになりますが、チームは1回戦で敗退。センバツ出場経験はあっても、チームが目立たなかったため、岡田悦哉にプロからの声はかからず、岡田悦哉は卒業後に明治大学へ進学します。

当時はまだまだ野球でメシを食っていくというような常識はなく、大学進学を選ぶのは自然なことだったようです。

岡田悦哉は明治大学を卒業した後、社会人野球チームの丸善石油へ入社します。ここでも岡田悦哉のプレーは頭一つ抜けていて、岡田悦哉は57年から60年の4シーズンに渡って都市対抗野球大会に出場しています。この時の岡田悦哉はすでに30代。プロ野球が盛り上がりだす時期ではありますが、社会人野球で岡田悦哉は骨をうずめる覚悟をします。実際に59年の都市対抗野球で岡田悦哉は兼任監督としてチームを率い、見事に優勝へと導いています。

プロ入りは果たせなかったものの、大学時代も素晴らしい実力の持ちぬ時だったようです。これ以降、社会人チームや大学の強豪野球部などの監督を歴任したのち、38歳でプロ野球の世界に足を踏み入れます。

68年から広島カープの監督に就任した根本陸夫はチーム強化のため、球界の内外を問わずに有望な人材をリストアップします。岡田悦哉もその中の一人で、すぐに根本陸夫は岡田悦哉に声をかけました。

ここからプロ野球界でも指折りの指導力を見せ、阪神時代の鳥谷敬の獲得や中日時代の川上憲伸の獲得に尽力しました。

彼の眼力は他に類を見ない、素晴らしいものでした。

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