【死因=多臓器不全】浅井良二(浅井企画)が死去 出身地や経歴

芸能界

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。

日本の芸能界を代表するお笑い芸人が多数所属する浅井企画の社長=浅井良二氏が死去しました。読売新聞は以下のように報じています。

浅井良二さん 83歳(あさい・りょうじ、本名・二瓶満=にへい・みつる=浅井企画社長)9日、多臓器不全で死去。葬儀は近親者で行う。後日、偲(しの)ぶ会を開く。

1968年に芸能事務所「浅井企画」を設立。萩本欽一さんと坂上二郎さんによる「コント55号」を人気コンビに育てた。同社には関根勤さん、小堺一機さん、お笑いコンビ「キャイ~ン」ら人気タレントが所属している。

報道にもある通り、今となっては伝説となったお笑いコンビ『コント55号』の育ての親でもある浅井良二氏の訃報に、芸能界では悲しみの声が広がっています。

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死因=多臓器不全 浅井良二(浅井企画)が死去

冒頭でも記載したように、浅井企画の社長、浅井良二氏が死去しました。

オリコンニュースによると、浅井氏は病気療養中であり、その療養先の病院で息を引き取ったとのことです。

死因は多臓器不全と公表されていますが、この多臓器不全を引き起こした直接的な病については触れられていません。

一般的に多いのは、ガンによる多臓器不全です。病気療養中であったということを考えると、晩年はガンを患っていたものと推測されます。

出身地はどこ?浅井良二の経歴

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浅井良二(本名:二瓶満)氏が浅井企画を起こしたのは1968年のこと。

当時は中川プロダクションという芸能事務所で三木のり平や八波むと志のマネージャーを務めていました。そのなかでまだ無名であった萩本欽一と坂上二郎の才能を見抜いて、マネジメントしたといいます。

この過去を見てもわかる通り、浅井企画は当初コント55号をマネジメントするためだけに設立された事務所であったということが分かりますね。

浅井さんは萩本欽一と坂上二郎さんのコント55号をマネジメントするために、1968年に浅井企画を設立。小堺一機や関根勤、キャイ~ンなど人気芸人が多数所属する大手事務所へと成長させた。現在もずんやANZEN漫才、牧野ステテコなどの若手芸人や、関根麻里、稲村亜美などが所属する。

※オリコンニュースより引用

また、彼の出身地などについては一般公表されていませんが、浅井企画本社のある東京品川区周辺であると推定されます。

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